京セラ美術館 YBA-テート美術館-を見てきて

記事の著者:龍平矢野
公開日:2026年6月15日
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こんにちは。矢野です。

昨日は久しぶりに1日休みだったので朝早起きしてランニング、シャワーを浴びたら京セラ美術館に行って現在開催しているテート美術館展に行ってきました。日曜日だったので混んでいるか心配してたのですが、朝一番で行ったこともあってか空いていて快適にみて回ることができました。
YBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)と呼ばれるイギリスで1900年代〜2000年代初頭に活躍したアーティスト達の展覧会。
前から楽しみにしてたのですが、イギリスのアートってそういえば僕あんまり詳しくないなぁと。
しかもいわゆる近現代アートを見るのも久しぶりでした。
というのも一部を除いてあまり好きじゃなかったからなんです。というかもう少し古典的な絵が好きだった。
でも最近自分でも絵を描いたりする中で、だんだんと一丁前に意味とかメッセージとか考えるようになってきて、そんな中で今回のテート美術館はすごく面白くて、一見訳わからないものが多い現代アートに込められてるメッセージをちゃんと受け取れるようになっていました。

そんな中でじゃあこれから自分が作品を作るとしたらそこにどんなメッセージを込めてどんな表現方法がいいのかっていうことを考えた時、これはすごく難しいなと。

というのも2000年代初頭までの社会問題や課題というのは目に見えるものが多かったんですね。戦争、貧困、差別など。だからそれを何かに投影して表現するということが容易だった。(思いつけるかどうかは別問題。彼らは天才です。)

それが現代に蔓延る問題はその多くが目に目えないものになっています。だからそれを捉えることが非常に難しい。
早い話が今までの問題は簡潔にいうと「不足」から生まれていたのに対して、現代の問題は「飽和」から生まれていると思うんです。
AI、SNS、アルゴリズムに飲まれ自己のアイデンティティの喪失のようなものが全ての起点になっている。でも多くの人たちが無自覚であり、実態がないため説明のしようもない。理解を得にくい。

だからパラドックス的なんですが、今何か作品を作るとしたら何かに対してのメッセージを込めるのではなく、もっと自己の純粋たる好奇心や本能的な情熱の発露ということになるのではないでしょうか。それが最も重要で大きなメッセージとなる。

そういった一見自己満足とも取れるような各々の個性の爆発こそがメッセージとなり現代を象徴する表現となる気がします。

だから僕が最近言ってる一度頭で考えるのをやめて、本能的な野生に立ち返るという直感はあながち間違っていないのではないかなーと。

アートだけじゃなく、仕事や生活そのものもそういうことが大切になってくるのではないでしょうか。それ自体が固有の作品になるような。そんな気がしてます。

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