農園との出会い
Story
初めてタイコーヒーに出会ってから今日まで、 振り返れば、困難ばかりだった。
何時間も怒られ続けた時も、 右も左も分からないタイの山奥で農園を探し回った時も、 なぜか、後ろ向きな気持ちにはならなかった。
困難ばかりだった僕たちが、 笑顔を意味する「Laughter」という名の店を作った。
Episode 1
コーヒーの味が分からなかったあの頃
きっかけは、タイの少数民族の青年との出会いだった。
彼は、大学のゼミ活動で関わっていたワイナリーの社員だった。
20歳の僕はラッキーなことに、ワイナリーの社長に連れられて彼の故郷を訪れることになった。
アカ族はタイ北部の山岳地帯に住み、かつては麻薬の原料となるケシを栽培していた。やがてタイ王室がケシ栽培を禁じ、代わりにコーヒーを植えた。コーヒーの木や村の家々を見て回った僕たちは、彼らが収穫した豆をかまどで焙煎し、林の中で飲んだ。一口飲んで、猛烈に感動した。今思えば、豆も焙煎の仕方もひどいものだったのだが、誰が何と言おうと、そのコーヒーは最高に美味しかった。僕はその日から、タイのコーヒーのことばかり考えるようになった。
日本に戻った僕は、ビジネスプランコンテストへの出場を機に、真剣に起業を考えるようになっていた。同じゼミの三輪も仲間に加わってくれた。しかし、僕たちにはコーヒーの味がわからない。三輪にいたっては、一滴も飲んだことがないと言うのだ。
タイから持ち帰った豆の良し悪しを知るために、スペシャリティコーヒーで有名なAMANO COFFEEに突撃した。常識知らずだった僕たちは連絡もせずに店舗を訪れ、店主の天野さんに豆を見せた。そして、こっぴどく怒られた。帰りに食べたお好み焼きは、味がしなかった。しかし僕たちは、次の日もお店に行った。天野さんに頭を下げる以外に道があるとは思えなかった。もちろん再び怒られたのだが、帰れとは言われなかった。そこから2ヶ月間、何も知らない僕たちに、天野さんがコーヒーのいろはを叩き込んでくれた。
当時日本では、タイの豆は質が悪いというイメージがついており、全く出回っていなかった。残念ながらそれは事実だった。でも僕たちは、もう一度タイへ行くことにした。諦めるのは、自分たちの目と舌で確かめてからでも遅くない。もしかしたら……という期待もまだ捨てられずにいた。
Episode 2
チャーリーとの運命の出会い
滞在期間は1週間。
初日から農園やコーヒーショップを何件も回った。
知れば知るほど、タイのコーヒー豆は、品質が販売価格に見合っていないことがわかった。
アラビカ種に比べて味の劣るロブスタ種の栽培がほとんどだったし、収穫も適当だ。
熟した赤い実と一緒に、まだ青い実までむしりとってしまう。
出荷作業も雑で、石や木くずが混ざったまま売られる豆もあった。
ホテルに戻り「帰って就活するか……」とぼやく夜が続いた。
しかし、奇跡は起きた。たまたま入ったカフェが、珍しくハンドドリップのコーヒーを出していた。どんなものかと飲んでみると、驚くほど美味しかったのだ。ラベルに書かれた「FARMER:Chalee」「VILLAGE:Doichang」の2つを頼りに、車を走らせた。ドイチャン村のチャーリーを探せ!しかし、地図を見るとドイチャンは村ではなく山脈だった。
ドイチャン山を車で走り回ってみるものの、何の手がかりも掴めないまま時間だけが過ぎていく。休憩がてら、ふと目についた小さな食堂に入り、おばちゃんにチャーリーはいないかと尋ねた。「確かあっちの方にいるよ」という言葉に一瞬胸が高鳴ったが、車で向かった先にいたのはアカ族ではなくリス族のチャーリーだった。そんな簡単に見つかるわけがない。通訳の人が「無理だよ、もう帰ろうよ」と繰り返すのを無視しながら、山道を歩き続けた。
20分程歩いただろうか。森の中で「チャーリーの息子は友人だ」という夫婦に出会った。すぐに電話をかけ、その人物を呼んでくれた彼ら。その親切さが心に染みた。今度こそ本物かもしれない、いや、きっとまた別人だ……期待と不安が入り混じる中、大型バイクに乗ったノーヘルの青年が現れた。「俺がチャーリーの息子だ!」。
彼が連れて行ってくれたのは、間違いなく、僕たちが探し求めたチャーリー農園だった。豆を見ればわかる。これまで見て回った農園とは比べ物にならないほど、ていねいに選別されていた。僕たちはドイチャン山を訪れたその日に、チャーリーに出会えたのだ。奇跡としか言いようがなかった。
Episode 3
契約、輸入、融資、施工、全てが試練だった
これ以上ない達成感と期待を胸に日本へ戻った僕たちは、起業の覚悟を決め、準備に奔走する。
天野さんに報告に行くと、涙を流して喜んでくれた。
でも、本当にたいへんなのはここからだ。
チャーリーに何度メッセージを送っても返事が来ない。契約を進めるためには、現地へ行くしかなかった。
アルバイトで渡航費をためてタイへ行き、交渉が少し前進して、また働いて……この繰り返し。
契約条件を決めるのも一筋縄ではいかなかった。彼らはランクの低い豆も一緒に買ってくれと言うのだが、彼らのためにも品質に妥協するわけにはいかない。タイの国内市場では、豆は安く買い叩かれてしまう。品質を高め、海外市場で正当な評価を得られる農園になってほしかった。
何度も押し問答をした末、チャーリーが折れてくれた。そして10月15日、会社の登記をしたその足で空港へ向かい、豆を買い付けるため4度目のタイへ。銀行口座がない可能性を考えて、かばんには現金100万円を忍ばせていた。
無事にチャーリー農園で1トンの豆を発注し、現地の貿易会社と契約をして帰国した。しかし、ここにも落とし穴があった。貿易会社との契約範囲は大阪港到着までで、日本での通関や輸送には別の手続きが必要だった。1トンの豆はもう海の上……頭が真っ白になった。
輸入代行業者に片っ端から電話をかけたが、全て断られた。なす術をなくした僕たちは、信用金庫の担当者に泣きついた。この時も色んな人にめちゃくちゃ怒られたが、紹介してもらった会社が情けをかけてくれ、12月半ば、1トンの豆が僕たちの目の前にやってきた。
この後も、失敗を挙げればきりがない。契約を交わす前に豆を発注してしまい、大量の在庫を抱えた。
スケジュール調整が下手で、無理なお願いもたくさんした。めちゃくちゃ怒られた。
資金繰りがうまくいかず、苦し紛れの嘘で乗り切ったこともある。
そんな僕たちを、色んな人が助けてくれた。
営業では天野さんの名前を勝手に使いまくったけれど、天野さんはもう怒らなかった。
Epilogue
「Laughter」に込めた思い
チャーリーは静かな人だ。
何度も通ううちに、僕たちは少しずつ仲を深めていった。
何度目かの訪問から食事に招いてくれるようになり、やがて山上の農園から町のホテルまで迎えに来てくれるようになった。
今では自宅に泊まらせてもらっている。朝、チャーリーの家で目覚めると、近所の人たちがリビングに集まっている。
それぞれの農園の豆を持ち寄って、飲み比べが始まるのだ。
僕はアカ族の言葉を話せないけれど、「おいしい」「楽しい」という気持ちは言葉がなくても伝わる。
彼らの笑顔から感じるものがたくさんある。
僕たちの店も、そんな場所にしていきたいと思って「Laughter」という名前をつけた。
今後はチャーリーの友人たちの農園からも、豆を仕入れる予定だ。商社から買う方が効率的なのだろうけど、自分の足で農園を訪れなければ、タイに美味しいコーヒーがあることに気づけなかったし彼らには出会えなかった。だから、僕たちはこれからも、農園から直接コーヒー豆を買うことを大切にしたい。豆の向こうにある彼らの笑顔が、アカイノロシを支えてくれているのだ。